今回訪問してレクチャーした福島県いわき市の床屋さんのところで、触媒機の薪が燃え尽きて次の薪を投入するまでの約2時間をボーっと薪ストーブの前で過ごしているのも、もったいないので、被災地の現場を案内してもらった。
放射能のため、これまで住んでいた家から避難せざるを得ない。かつて住んでいたところに住めない。戻れない。各地に散り散りになってしまったコミュニティ。近所づきあいや、子供たちの学校での友人関係も失われてしまう。転校した先によっては酷いイジメによって登校拒否になってしまう子がいるであろうことも容易に想像できる。いくら賠償金をもらって、別の土地で新生活をはじめたところで、失ったものは戻らない。自分がその立場に置かれてみないと実感できないし、想像しかできないことだけど、現実にそういう人がいるということを、現地を訪問して、当事者と話してリアルに感じることができた。
津波で折れ曲がった架線を支える電柱
海の方に見える黒いものは「堤防」ではない。放射能で汚染された地表の土をフレコンバッグに入れて、「とりあえず」まとめて積んであるものだ。将来的には、これをどこかに持って行って埋めたいのだろうけど、現実にはこういうのが至るところにあって、とても処理しきれないような気がした。この後、シートをかけて保護することになるのだけど、やがて雨水で染み出して最終的には海に流れてしまうような気がした。
このように地面の表皮の土を撤去して、建物や道路を洗浄して、放射能を薄めて、やっと人間が短時間なら入れる状態になるのだけど、こういう作業をしてからでないと、壊れた建物、線路、駅などが復旧できないのだ。津波や地震だけならば、とっくに復旧していただろう。目に見えない、臭いもない放射能のため、いまだに電車が通らないし、人も住めないゴーストタウンのままなのだ。
ホームから線路を見下ろすと雑草が生えてレールが見えない
雑草の下の錆びたレールが、かつて、ここに電車が通っていたことを物語る
プラットホームの間の線路の上には、どこかから流れてきた車が横たわったまま
流されて家の部屋の中に突っ込んだ車
車だけでなく家そのものが流されて道路に横たわる
東関東大震災の後に何度か東北地方の津波があった地域に行っているけど、放射能の問題がない場所は、当時のことを想像できないような復興ぶりだ。普通の日常景色が広がり、人々が生活している。しかし、放射能で汚染されたこの地域は、当時のままの光景が、今、現在も残っていて、まだまだフクシマが終わってないことを目の当たりにした。
こういう状況なので、福島県の木を薪にして出荷できない。原発事故の前に作られた薪も、屋外保管しておいたものは、放射能汚染されてしまっている。
屋内の小屋に保管してあった薪でも、積んである表面部分は隙間から入り込んだ放射性物質で汚染されていたそうだ。まだ奥の、塵が届かないであろう部分の薪はチェックしていないそうだけど、一部でも汚染されてないものがあればラッキーだと思う。放射能の測定は、役場に申し込むと、下請け業者が検査してくれるそうだ。それでOKのものは焚くことができるし、NGのものは放射性廃棄物として回収するシステムになっているということだった。